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アメトーーク [芸能]

お笑いコンビ・カラテカの入江慎也(42)の仲介により、複数の所属タレントが振り込め詐欺グループの会合での“闇営業”していた問題で揺れる吉本興業

会合に参加した芸人のうち、雨上がり決死隊の宮迫博之(49)がMCをつとめるテレビ朝日系「アメトーーク!」が6月13日に放送された。

もともと“闇営業”の実態を報じたのは7日発売の写真週刊誌「FRIDAY」。同誌の報道後初の放送だったが、そこでの“異変”が話題を呼んでいる。

「前の週までは流れていた一部のCMが流れなかったんです。その穴を埋めるように、東日本大震災の直後に頻繁に流れて有名になったACジャパンのCMが流れていました。通常、ACのCMはスポンサーが差し替えを申し出たときに放送されるもの。一部の企業が放送を自粛したと見られています」(広告代理店関係者)

番組放送中からネット上では《結構スポンサー降りてるな》《例の件でどっかスポンサー見合わせてるのか》《困ったときのACのCMですかい?》などの声が噴出していた。

「スポンサーは今回の事件を楽観視していないようです。テレ朝は“闇営業”が発覚しても番組を通常通り放送すると早々と発表しましたが、考えが甘すぎたのではないでしょうか」(テレビ局関係者)

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生稲晃子 [芸能]

1986年、アイドルグループ「おニャン子クラブ」に入り、芸能活動を始めた。グループ解散後は、女優や歌手としてテレビや舞台などで活躍。結婚して長女を出産し、仕事と育児に追われる日々を送っている。

 がん検診は毎年のように受けていたが、2010年は忙しさから予約を入れ忘れた。知り合いの医師に勧められ、11年1月、人間ドックを受けた。

 すると、「再検査」の通知が届いた。精密検査を受けると、右胸に小さながんが見つかった。医師から告知を受けたときは、「ドラマのワンシーンを撮影しているような感じでした」。自分のこととは思えず、涙も出なかった。

 当時、テレビ朝日の街歩き番組「ちい散歩」に出演していた。「がんの公表は、健康番組のイメージに合わない」。そう考えて公表しないことにした。

 5歳だった娘には言うべきかどうか悩んだ。「この子なら理解してくれる」。直感的に思い、自宅のソファで話をした。

 「ママのおっぱいの中に悪いものがあって、取らないとママは死んでしまうかもしれないんだよ」

 娘は「ママが入院するのは嫌だ。死ぬのは嫌だ」と泣いた。だが、後になって話しておいてよかったなと実感した。「ちゃんと理解をして成長してくれていると思うことが、何度かありました」

生稲晃子さん 乳がん再発繰り返し全摘へ 右胸にそっと触れ、「ありがとう、さようなら」と…
写真・米田育広
切除して1年後 再発
 2011年3月に見つかった右胸のがんは小さかった。5月、がんを切除する手術を受けた。

 当時、テレビ朝日の街歩き番組「ちい散歩」に出演していた。がんのことは公表せず、手術を受けて退院した翌々日には、普段と変わらぬ元気な姿で収録に臨んだ。

 「せっかくレギュラーで起用してくださっている。外見に変化があるわけでもなく、今まで通り、やれるところまでやってみようと思いました」

 この年の7月には放射線治療も始まった。暑い中、1か月以上にわたり病院に通うのはつらかった。しかし、仕事に行くと、気持ちを切り替えられた。

 「病気になると、孤独感や疎外感を持ってしまいがちです。仕事場でも家庭でも、自分の言葉や働きを待っていてくれる人がいて、必要とされていると思う気持ちが、病気に打ち勝つ薬になるのかなと思います」

 仕事を続けていたからこそ、治療も頑張れた。

 放射線治療が終わると、ホルモン治療を開始し、薬を飲み始めた。だが、12年、再び右胸にがんが見つかった。

 「がんを取り、放射線も当てていたのに……」。体の中にあるがんのしつこさを知り、最初に告知を受けたときよりも気持ちが沈んだ。9月に再び、がんを切除する手術を受けることになった。

2012年9月、右胸にがんが再発していると告知され、すぐに切除する手術を受けた。ホルモン治療を続けたが、13年秋、三度(みたび)、がんが見つかった。

 再発を繰り返し、「命のことも考えていかなければいけない状況にある」と感じた。主治医は右の乳房を全摘し、同時に再建する手術を提案した。

 45年間、苦楽を共にしてきた体の一部を、自分が生きるために取り去らなければならない。右胸に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、主治医の前で初めて泣いた。だが、「娘のために責任を持って生きていかなければ。死ぬわけにはいかない。ずっとそばにいてあげたい」。すぐに決断した。

 全摘手術を12月末に行うことが決まると、娘が銭湯に行きたがっていたことを思い出した。

 「右胸がなくなったら、人前で裸になる勇気は持てないかもしれない」。手術の5日ほど前、手をつないで銭湯に出かけた。娘は広い風呂に入れてうれしそうで、その様子を見ているだけで楽しかった。「時間が止まってほしいという思いでした。楽しくもあり、悲しくもある思い出です」

 手術前日に入院した。その日の夜、病室で一人、鏡に向かい、右胸にそっと触れた。

 「ありがとう、さようなら」――。そう言って、別れを告げた。

生稲晃子さん 乳がん再発繰り返し全摘へ 右胸にそっと触れ、「ありがとう、さようなら」と…
写真・米田育広
「公表」で気持ちも楽に
 2013年12月、右胸を全摘し、同時に再建する手術を受けた。後で人工乳房を挿入するため、胸の皮膚を伸ばす器具を入れた。

 ところが、11年に行った放射線治療によって皮膚がダメージを受け、伸びにくくなっていた。手術を受けてからしばらくは寝ても起きても、ズーンという鈍い痛みが続き、再建手術を受けたことを後悔したほどだった。

 痛みよりもつらかったのは、がんを周囲に黙っていたことで生まれた罪悪感だった。

 「再発を繰り返し、再建手術も受けた経験を話せば、勇気を持ち、励みとしてくれる人がいるかもしれない」。治療が一段落したタイミングで、公表しようと考えた。15年10月に人工乳房を入れ、その際、雑誌の取材を受けた。

 「話をして楽になり、自分を素直にさらけ出せるようになった気がしました」。周りからは「前よりも明るくなったね」と声をかけられた。今も治療薬を飲み続けるが、その後、再発はしていない。

 闘病生活の支えになったのは、家族の存在だ。「自宅にいれば私が家事をやり、治療や仕事でいなければ夫がする。うちの中では、がんの話をすることもなく、普通に暮らせるよう、夫や娘が心がけてくれたことが生きる力になりました」 
タグ:生稲晃子

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つちやかおり [芸能]

「ふっくん」こと布川敏和さん(53)との約20年に及ぶ結婚生活にピリオドを打って5年。別れた夫婦が「いい感じ」になるための秘訣をつちやかおりさん(54)に聞いたそうです

「先日、彼と電話で子どものことや仕事のことをあれこれと、気づいたら1時間半も話していたんです。こんなに話すなんて、自分でもびっくりしちゃいました」

そう語るのはつちやかおりさん。通話の相手は、20年近く連れ添った元夫の布川敏和さんだ。

「いっしょにいた期間は親きょうだいより長いので、お互いのことがよくわかるんです。離婚前はお互いの悪いところばかり目につきましたが、いまではいいところも見られるようになった感じですね。夫婦じゃなくなったことで、相手に求めるものがなくなったからでしょうか」

つちやさんは、18歳から9年の交際を実らせ'91年に布川さんと結婚。ハネムーンベビーで'92年に長男(現在・俳優の隼汰さん)を、'94年に長女(モデルの桃花さん)、'01年に次女(花音さん)を授かったが、'14年6月に離婚を発表。

夫婦という関係を解消してから5年、つちやさんには、自分自身でも意外な変化があったという。

「結婚前は本当に早く仕事を辞めたかったんです。当時、敏和さんはアイドルとしての全盛期でしたから、会う時間が全然取れなくて。いつでもいっしょにいられるように早く芸能界をやめて、結婚したいって(笑)。それがいまでは、仕事を受けすぎてマネージャーにも怒られるくらいの変わりぶりです」

実際、現在のつちやさんは舞台やテレビのバラエティから、本の出版、講演など仕事が切れることがない。さらにはグループホームで暮らす認知症の母親の介護経験から、介護関連の資格取得も目指しているという。

もちろん、冒頭のエピソードのように、布川さんと長電話ができるような関係になれたということも、当時のつちやさんには考えられなかった大きな変化だろう。

「かといって『2人でランチでもしようか』ということにはならないんです。犬を預ける都合でしょっちゅう顔を合わせてはいるんですけど。もはや親戚のおじさんですね(苦笑)」

たしかに“親戚のおじさん”とはランチに行く関係にはならないが、子どもたちが自立し、一人暮らしをしている布川さんのことはどう思っているのだろう。

「早く新しい奥さんをもらってほしいですね。だって、もし彼に何かあっても、まだ子どもたちに面倒を見させるわけにはいきませんから。じゃあ、私なの? ってことになっちゃうでしょ(笑)」

元夫である布川さんとの関係を屈託なく語るつちやさんだが、昨年の夏には“家族5人”の写真をブログに掲載して話題となった。

「花音が留学先から帰国したときだったんですけど、どうする? パパも呼ぶ? ってことになって。敏和さんも楽しそうにしていました。けっこう緊張していたんでしょうね。途中で真っ青になって倒れちゃったんです。あとで『本当に体調が悪かったんだよ』と言っていましたが、子どもたちは大爆笑でした」

この先も、子どもが結婚したり、孫が生まれたりすれば、もちろん顔を合わせる機会はあるとつちやさんは言う。

「離婚から5年たってようやく、こういう関係もありかな、と思えるようになりましたが、それにはお互いが同じ距離感じゃないとだめなんでしょうね。どちらかに未練やわだかまりが残っていると成り立たないと思います。そう考えると、いまは本当に“いい感じ”に落ち着くことができていると感じています」

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