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安室奈美恵 [芸能]

1987年秋。友人のオーディションに付き添ってきた少女のたたずまいに、周りを魅了するオーラを感じた。「引き留めなければいけないと追い掛けたのは、後にも先にもあの子だけ」。歌手の安室奈美恵さん(40)を発掘した沖縄アクターズスクールのマキノ正幸代表(77)は、10歳の安室さんとの初対面をそう思い出す。直感を信じ月謝免除の特待生としてスクールに招き入れてから30年がたち、人気も実力もレジェンドとなった教え子の引退を静かに見つているそうです

沖縄の色を抜く
 レッスンが始まると、異国情緒漂う顔立ちが、ビートに乗った歌声と身のこなしにひときわ映えた。「この子に賭ける」と決め、常に生徒たちのフロントに据えた。安室さんは意見や感情を前面に出すタイプではなかったが、納得がいかないことがあると突然帰ってしまう「頑固な一面」を見せたという。

 マキノさんは電話口で「日本のエンターテインメント界には君が必要だ」と説得。「30~40分話し続ける私に対して、奈美恵は黙り込んだまま一方的に電話を切ったこともあった。でも翌日にはケロッとした顔でレッスンに来るんだ。見守っていないとオーバーワークになるほど、歌とダンスが大好きで黙々と努力を重ねる子だった」と振り返る。

 スクールの教育方針の一つは「沖縄の色を抜く」こと。その心は「決して沖縄の否定ではなく、厳しい競争社会を勝ち抜くためにはスピード感も生活習慣も沖縄のままではいけない」。なまりをなくす目的で標準語を特訓し東京に送り出したのも、持論に基づく。だから「奈美恵の活躍は沖縄の人たちが本土に抱く劣等意識を大きな誇りと勇気に変えたが、彼女は必ずしも沖縄らしさを背負ったスターではなかった」と解く。

どん底も味わったが…
 2000年代、県内外に4校を展開し、最多で約800人の生徒を抱えたスクールの在籍生は今、4人。歌唱力にほれ込んだ三浦桔梗さん(17)を中心とした17~18歳のダンスボーカルユニット「Precious(プレシャス) J」に「育成からプロデュースまで担うのは初めて。私が手掛ける最後のアーティスト」と情熱を注ぐ。

 「向こう見ずな冒険で財産を失い、周囲の人が離れていくどん底」も味わったが、「安室奈美恵という1千万人に1人の素材を見いだしたことは、全てを差し引く価値があり、今につながっている」と感謝する。

 その希代のアーティストが選んだ人気絶頂での引退。「生みの親」として「エンターテインメント業界や社会のしきたりを踏まえれば、いろいろな意味で勇気がいること」と複雑な感情を抱きつつ、こう言葉をつないだ。「あの子が自分の幸せを求めて決めたことなら、他人がとやかく言うべきじゃない。幸せになってもらうしかないよね」
タグ:安室奈美恵

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