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松田聖子 [芸能]

平成9(1997)年に松田聖子(57)は神田正輝(68)との12年の結婚生活にピリオドを打ち、「聖輝の離婚」との見出しがスポーツ紙1面に躍った

 聖子はニューヨークで知り合った「青い目の愛人」ジェフ・ニコルスとの関係を取り沙汰され、暴露本も出ていたし、離婚は当然の帰結だったのだろう。それも破局した聖子はアラン・リードというダンサーを経て、「ビビビッ」ときた歯科医と再婚、また離婚。マネジャーとの関係を取り沙汰されて、平成22(10)年に出会った慶応大の医学部准教授と再々婚、現在にいたる。

 平成の聖子は歌手であるのと同じくらい、「スキャンダルの女王」としての存在が際立った。本人もそれを楽しんでいたのか、成田空港で芸能マスコミがごった返す取材エリアが過ぎ、階段を下りる途中で振り返った顔は、それまでの仏頂面が嘘のような満面の笑み、白い歯を見せていた。

 だが、常にスポットライトの中心にいた聖子とは逆に、長女・沙也加(32)はまばゆいライトの後ろの暗闇にいた。神田正輝と結婚した翌1986年生まれ。子育てそっちのけの聖子に代わって、祖母の一子さんに預けられた沙也加は、最も母の愛情や庇護の欲しい幼少期、公園で暗くなるまでローラーブレードでひとり遊んでいた。ご近所の方が心配して、ジュースか何か差し出していた。その後、何度も転校した揚げ句、友だちをつくることすらままならなかった定時制高校を頑張って卒業したときも、卒業式にすら聖子は現れない。身の回りの人も物もすべて自分を飾り立てる装飾とするような母親に、ずっとないがしろにされてきた沙也加の胸中は察してあまりある。

■結婚披露パーティーに聖子の姿はなし

 平成29(17)年に沙也加は俳優の村田充(41)との結婚を発表。結婚披露パーティーに母・聖子を呼ばず、聖子は聖子で祝福コメントを出さなかったことで母娘の確執が表面化していく。

 沙也加の新婚生活は、村田が1日24時間、365日とばかり、沙也加に寄り添い、付き人かマネジャーのようにかいがいしく世話を焼いていた。沙也加出演のミュージカル製作発表の後、喫茶店で共演者の女の子と過ごす沙也加のもとへ、ベンツを運転して村田は迎えに行き、じっと待機。出てくると、沙也加お気に入りの原宿のブティックに車を走らせ、女性服の買い物に1時間半、付き合う。

 沙也加は30センチ近く背の高い村田の腰に手を回し、ひとときも離れたくないのが伝わってくる。寂しかった幼少期の経験を乗り越え、ファザコンのように甘えさせてくれる夫と自分の城を構え、母との関係をもう一度見直そうとしているのかも知れない。

「両親ともに芸事で、子どもっていうのがどうしても抵抗があって、一緒にいてあげられない側面が出てくるだろうなと」

 だから子どもはどうするか分からないと、テレビで胸中を語っていた沙也加。両親不在で寂しい思いをさせてしまうくらいならば、どうしようもない。そう夫に相談すると、「そのときは僕が家庭に入るよ。だから君は安心して外で仕事をしておいで」などと言ってもらえたという。子どもができたら、そういうふうにして、愛し育てていこうよと。

 いろいろあって、平成が幕を閉じ、新しい時代がはじまる。その主人公やヒロインになるのは、そんな沙也加や沙也加の子どもたち世代である。長く暗いトンネルはまだ続いている。しかし、その先の、トンネルの向こうへと歩んでいくのだろう。

タグ:松田聖子

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